寂しい赤ん坊

私の家は、交通量の多い通りに面しているが、元は古いビルを貸家にしたものだから壁が薄く、騒音振動が避けられない。
少し坂道になり橋があって、その手前に交差点があるものだから、トラックの始動時は、まるで地鳴りのようだ。
それに下り坂を半ブレーキでキーキー鳴らす自転車も神経に障るし、しょっちゅう高架を走る電車のガタンゴトンな音にも減なりだ。
排気ガスや埃が舞い、住民のジョギングや犬の散歩コースには外れ、ただ目的地と家路に急ぐ人ばかりが目に付く。

それなのに、隣のマンションにいつ頃か、乳児託児所ができて、たまに聞こえる可愛らしい健気な赤ん坊の泣き声は、都会の喧噪にささくれてしまった心を、束の間ほっこり微笑まし気分にさせてくれる。そんなお隣の託児所の存在は喜ばしく思っていた。

しかし、ここ3日連日の事には、気が滅入ってしまった。
赤ん坊の張り裂けんばかりの凄まじい泣き声が、窓を閉めても、朝から夕方まで幾度となく聞こえるのだ。同じ泣き声からして、一人の赤ん坊だろうが、泣き止むまで毎度1〜2時間、死に物狂いに泣いているのだ。悲痛の根源としか言いようのないそれが始まると、もう胸が締め付けられ、私の身体は、その場で硬直してしまい何も手がつけられなくなるのだ。

何故かと言えば、それが女の母性であるのと、もう一つは、私がまだ充分に若く、娘がまだ二歳頃に、軽はずみで乳児保育所に預けた悲しい出来事を思い出すからだろう。

私は当時、深く考えず、街で勧誘されるまま保険外交員育成の講習会に参加して、そのままある保険会社に務め出した。2年程の務めだったが、同僚と仲良くでき、自由な営業職が楽しいと思っていた。
娘を朝から預けて、夕方迎えに行くと、保育所の先生が『○○ちゃん、一日中泣いていましたよ。今は泣きつかれて寝ています。』という事が1ヶ月以上は続いていた。
毎朝、出かける前から大泣きで、車の中では、身体をのけぞらして泣いていた。先生は、ためらう私の腕から娘をもぎ取るように抱えると、背中を向けて、『すぐに行ってください!』と言うので、涙を溜め後ろ髪ひかれる思いで去っていったあの光景。あの時の私と、泣き叫ぶ娘の声や手が、今脳裏にフラッシュバックしてしまう。

こんなに力を振り絞り、一日中泣いている事を、母親は本当の意味で、我が子を知らないのだ。

慣れない内は仕方ない、他の子も我慢しているのだからと母は思い込み、子はやがて諦めて、環境に順応していく術を知るのだろう。しかし隣の泣き虫は、きっと慣れるのに普通の子より時間のかかる子なんだろう。
大多数の普通の子には受け入れられる大多数の普通の大人のやり易いシステムに、やはり順応しきれず我慢をするも、歯車合わずに報われず、面倒くさくて苛つかれ、いじめられなければいいのだが、…私の娘のように。

いつまでも泣き止まぬ赤ん坊の泣き声が娘と重なり、あの若い母娘が、あの時分が甦る。迎えに来た私の顔を見つけた娘の顔がいじらしく、もう涙が出てしょうがないから、ビルの屋上で、都会の生暖かい海風に、じくっと湿った心を乾かしてきますね。