少しだけ真面目に。

yo-en2014-12-21

心の内 『医者』

まず、『医者嫌い』ではない。
医者という特定した存在が嫌いではなく、権威が嫌いなだけである。
そもそも、一括りで『嫌い』というものは、よく考えれば無いに等しく、少し大げさで大雑把に言っている時に限る。

正直、不信感はある。
医者様は家族を診るようには診てくれない。当たり前だが、それでも医者にかかるしかない時もある。



私が医者不信に陥ったきっかけは、5年前、尿道炎もしくは膀胱炎の症状があって間もなく、背中が痛み、40度前後の高熱が3日も続いた。
朝になると微熱程度に下がる為、回復期ねと安心すると、夕方から高熱が出る。朝独り冷たくなっているのも怖いので、さすがに4日目の夜に自分で救急車を呼んだ。
これが最初の急性腎盂腎炎だったと後に思うのだが、病院は検査結果を見ても診断は曖昧で、予後観察という事で終わった。
退院後もしばらくすると、疲れた日は必ず微熱を出し、幾日も微熱や下痢が続く事もしばしば。無理をすると熱を出し3日は起き上がれず予定も台無しになる。
活力も失い、いつも頭がボーとしているか、横になる時間が多くなり、半年も不眠にも悩まされた。
何が原因かわからないから、イライラして時間を棒にふる。
気を奮い起こし、ネットで調べては(大阪都心では病院はピンからキリだし、施設も大事だが、どの医者にかかるかが要に思えた)、体にムチをうち(そのころ午前中の初診時間に起きるのが大変で何度もタイミングを逃す)ようやく診察にこぎつけるが、医者の無下な態度に木っ端微塵になる事しばしば。

期待外れの病院ジブシー。
不信感を隠し従順な患者の素振りをしても、やり切れなさは募り、医者への不信感は高まるばかり。


悪循環である。
成るようにして成った。


最初の診断で、医者選びは重要だと考える。

何の事においても、今多くの情報が錯綜するなかで、自分は一体何を選択するのか。
私の場合は、まず自分の直感で振り分ける。後悔することもあるが、そうやって直感を磨くしかないと思っている。


先月下旬にひいた風邪らしき症状は、38度以上の熱がしつこくぶり返した。おかげで準備していたワンマンライブを泣く泣く中止せざる得なかった。もしかすると、腎盂腎炎も併発?と疑った程だ。
風邪は特に鼻がやられ、くしゃみ鼻水が酷く、味覚も嗅覚も数日失った。あるとき鼻をかんだ拍子に右耳の奥でパコンとつまった気がしたら、それからずーと栓をされたみたい。

風邪症状は治ったが、鼻声が続き声がうまく出せない。副鼻腔炎も疑って調べていた時、漢方薬にたどり着いた。
以前ネットと本で少しかじった程度だが、漢方薬はハマった事がある。今回の症状を照らし合わせると、排膿散及湯という薬が症に合っているような気がするので、治らなかったら耳鼻科に行くつもりで2週間分だけネットで頼んでみた。
服用3日目の今朝、顆粒の薬を白湯で溶かし、ゆっくり飲む。症に合っている薬は美味しく感じるというが、甘くて美味しい。
しばらくすると、生臭いトロトロしたものが、喉の奥に流れていった。詰まっていた膿が流れたのだろうか、急に栓が抜けた感じがする。声もよく出る。まだ少しだけ鼻声が残るが、気にする程でない。
実は、この現象は、薬を飲んで治した人の記事を読んだ現象と同じなので、薬が合えば早ければ2.3日、遅くても一週間以内にそうなると予測をしていた。


フラシーボ効果も存分にある。
とても期待していたのだ。
例えどんな場合であろうと、結局のところ、自分が信じる事が、成功の秘密だと思うのである。