空気の読めない人

yo-en2015-08-18

空気の読めない人

今の世の中、空気が読めない事は致命的よね。
いろいろな罵詈雑言があるけど、空気が読めないと言われれば、言われた者には一瞬で心を閉ざす刃物であり、優しさなど感じられないのよ。

そして私は、しばしば、空気が読めない人と言われ、言われる度に傷ついている。
付け足しゃ、我が儘、自己中心的、冷たいなどの人格否定も然もありなんだ。

それにしても、しっくりこないのは、少しばかり感受性があるらしい私は、幼い頃から神経質で、空気が読めないなんて事は全く逆だと思っててね。ただその感性が人と少し観点がズレていたからか、出る杭だとよく人には指摘されていたわ。

問題は、多数の人から見れば感性がズレたその奇行な言動を、私が全く突拍子も無く、衝動的に気にもとめず平然としてしまう事で、周りに驚かれ、遠巻きにされ、空気が読めない人と言われる所以だと思うの。(謎なんだけど、衝動で出た言葉や行動だからといって本音や本性とも限らないから余計ややこしい)
これには絶えず頭の中に『ストップ衝動!衝動撲滅!衝動自滅!発言はワン呼吸 & フィルターを通せ!』とでもテロップ入れたとて、抑制できるか疑わしいけどね。


こんな事を書くのはね、先日、久美浜にいる娘の顔を見にいった時、不機嫌だった娘が堰を切ったように私に放った中にも、この言葉はあって、考えさせられたからなの。娘は高校卒業後、京丹後の古い仕来りの中に地元の長男の嫁として飛び込んでいき、4交代制の老人介護施設で勤務しながら日々寝不足で頑張っている。その上、目と鼻の先に住む嫁ぎ先のご両親やご近所同士のお付き合い、仕事の人間関係など、ストレスは相当なものだろう。兄弟姉妹もなく、気楽に帰れる生家もなく、堪えきれず私にきつくあたった。私も気苦労して歳を重ねてやっと、適当で丁度良いと思うようになり、今の娘にそう示すも、そんな私をだらしない母と罵ったり謝ったりと、苦しそうだ。あまり気持ち良く和解できないまま帰ってしまったけれど、気に病んでないといい。
自分の中にある母親のその部分を克服したくてもできない苦しみに、内気な分、さぞもがいているのだろうね。


幼い頃、自分への差別も人への差別も敏感に感じてきた私は、排他的な事や謂れのない差別に、強い怒りを持つ反面、それも人間の性かと、人間の弱さも受け入れてしまう。
皆だって弱い。私だって、誰だって、ひとりぽっちなんて望んでいない。
空気を読まないのでなくて、空気が読めないのは、きっとどうしようもないわ。
でも空気が読めないから、疎まれるのは避けれない。これもどうしようもない事なのね。




私の向かう処は
何があるというものでもなく
気の利く言葉要らず人を愛する処さ


道なき道のように
しるべは何処にもないけど
心の思うままに探しにゆくのさ


誰かの叫ぶ声が茜色に溶けてく
涙に消えてく


夕陽は帰るけれど
肩を抱いてくれたさ


      オリジナル『夕焼けの道』 抜粋