岡本一平と岡本太郎

木曽のかけはし

太田の渡し

碓氷峠がなくばよい



私の地元、岐阜県美濃加茂市には中山道が通り、太田宿という宿場町があり、ひっそりとその佇まいを残した景観を大切に保存している。

上の唄のように、この太田宿から次の宿場町へ行く為には、筏船で木曽川を渡って行くのだが、これが中山道の三大難所「太田の渡し」というのだ。



この中山道は私が通っていた小学校の通学路だったが、当時は全く興味がなかった。

今となっては私は帰郷すると必ず自転車で地元を徘徊し、ここも立ち寄るコースとなっている。



中山道には太田宿中山道会館がある。太田宿や糸遊庵、美濃加茂ゆかりの歴史上人物や出来事が紹介されている。レストランや地元野菜も売っている。

そしてここには岡本一平(岡本太郎の父)が、岡本かの子の死後に再婚し、一家で岐阜に疎開し辿り着いた終の住処となった糸遊庵がある。

(糸遊庵は美濃加茂市川合町から移築)



私は歌を歌うようになって特に岡本太郎が好きなのだが、地元に糸遊庵があり父、岡本一平美濃加茂市に深い縁があった事を知った数年前は、本当に驚いて興奮した。

岡本一平という名前は、岡本太郎の本で目にしていたが、母かの子に興味がいったものの、一平のことは、さらりと通り過ぎてしまっていた。

f:id:yo-en:20190823153952j:plain


嬉しい。一平家族が太田の朝市でお茶を買ったんだと、時代交差させながら想像して、嬉しくなってくる。